「環境新聞」に弊所顧問弁護士芝田稔秋執筆『産廃と私~弁護士50余年の歩み~【第2期:1970年代(昭和45年以降)】②』が掲載されました

環境新聞にて、令和6年1月17日より隔週連載されております、
弊所顧問弁護士芝田稔秋執筆『産廃と私~弁護士50余年の歩み~』が掲載されました。

芝田稔秋が弁護士になるまで、そして、弁護士として50年以上廃棄物処理法に
携わってきた半生を、1年間に亘って連載されます。

この度、「第2期:1970年代(昭和45年以降)」の第2回が掲載されましたので、
簡単にではございますがご紹介いたします。

第2期第2回(令和6年3月27日掲載)
「制定当時の法律は意欲的で好感が持てたがザル法でもあった」

 消防法違反事件の後、産廃問題の事件もの依頼を受けるようになったのは、1975(昭和50)年に入って以降である。産廃新聞に連載を開始したのが1973年の秋だから、それより後となる。
 私は、海や船の事件には興味を持っていたが、実のところ、当時産廃事件にはそれほど興味は持っていなかった。産廃事件の依頼が多くなったために、必要に迫られて廃棄物処理法を勉強して、専門家になったのである。
 どんな事件を扱ったのかは忘れたが、業者が行政に提出した処理業の許可申請書に対する応答が遅い、早くなんらかの回答を貰いたいなどという、行政手続上の不満の相談が多かったように思う。
 前に述べた級友の高橋君が持ち掛けた廃油の収集運搬業の許可申請の相談もそうである。申請後10カ月もなるのに、なんの音沙汰もないのは異常ではないか、早期に許可をもらえるよう対策を頼むと頼まれ、不作為の違法確認の訴訟を提起して勝訴した。和歌山県の業者からも6カ月ほど経っているが音沙汰ナシという例があって、和歌山県の弁護士と共同で不作為の違法確認の提起をし、これも勝訴した。
 また、行政の指示で関係住民の同意書を提出したところ、その人たちの印鑑証明書も貰ってほしいと言われた事案もあった。印鑑証明までお願いするのはとてもあつかましくてできないから、提出不要ととするよう交渉してほしいという依頼であった。この事案は、処理施設の設置の件だった。印鑑証明書を貰うには、仕事を特に休んで役所に行かなければならない。自分たち業者から、住民にそこまでのお願いは到底できないこと、同意書の提出にはなんらのメリットもないこと、もともと設置届出の添付書類としては、政令にも厚生省令にも同意書の提出義務は規定されていないのに、印鑑証明書の提出まで要求するのはあまりにも過重な負担を強いるものだから、提出は不要として許可事務を進めてほしいと、上申告書を提出して懇望した。この件は、数日後に役所から「了解する」という電話があって早期に解決した。
 刑事事件では、検事に対し、廃掃法のもとでは排出事業者に最も責任があるのに、彼らは不問にして、業者ばかり責めるのは筋違いだと非難し、その結果、不起訴になった例もかなりあった。

 廃掃法について好感を抱いた点がある。条文がわずか30条と少なく、各条文は短く単純明快で素直な規定で解りやすいこと、事業者の自己処理責任制度を採用し、産業廃棄物処理基準を設け、無許可営業の禁止など、適正処理を確保し、生活環境を保全し、公害を防止しようとしている点で清掃法と比べて、かなり意欲的であると思った。
 しかし、あって然るべき重要な規定ないし制度や刑罰がたくさん抜けていたので、ザル法だとも思った。例えば、①排出事業者の自己処理責任制度といっても、排出事業者は運搬業者とだけ契約して、処分業者との契約はしないでも許されたが、それでは「処分」がどうなったかはわからないのだから、自己処理責任を果たすためには不十分である。②無許可業者への委託を禁止する規定がなく、委託が可能になっている。③処理業の許可の期間が無制限である。④欠格要件制度がないために、許可を取り消された後、2~3カ月後に許可申請しても、許可せざるを得なくなっている。⑤不法投棄した場合の刑罰が「5万円以下の罰金」だけで、懲役刑がないために、5万円以上の報酬を貰うなら、不法投棄の委託を受ける方がトクになる。⑥不法投棄しても原状回復義務の規定がない。⑦刑罰を科すべき悪質な行為なのに刑罰の規定がない。⑧刑罰の規定はあっても軽すぎる。このように、不備な規定がたくさんあった。

 本法では、施行と同時に、都道府県知事から許可された運搬業者や処理業者が存在し、産廃処理施設や最終処分場も存在して、正常に運用される形になっていた。ただし、これはタテマエであり、法施行の時点では、許可された業者は一人もいない。処理施設や最終処分場は、届出制だったから、届出ればすぐにも建設の着工はできたが、その届出は法施行後にするものだから、すぐに着工したとしても建設完了までは、早くても半年から1年はかかるだろう。排出事業者は、本法が施行されれば、直ちに自分の工場から出る産廃を許可された運搬業者に委託して、処理施設に搬入しなければならないのに、許可された運搬業者もいないし、処理施設もないし、最終処分場もない。毎日出る産廃をどう処理していたのだろうか。
 排出事業者は、新しい許可業者や、新しい処理施設や、新しい最終処分場が出現するまで、不法投棄をしていたのだろうか。そうして、警察も行政も、不法投棄を黙認していたのだろう。1972年に私が担当した実質は廃油の不法投棄なのに消防法違反で起訴された事件は、そういうことだったのだろう。

 1975年頃と思うが、当時の不法投棄の光景を思い出す。
 宇都宮地検や水戸地裁の刑事記録を閲覧した後、その記録に出て来る不法投棄の現場を視察に処理業者に案内された時のことである。利根川や鬼怒川の河川敷だったと思うが、ついでに近辺を回って見て驚いた。砂利採取跡だと聞いたが、直径30m~50mぐらいのものすごく大きな池がたくさんできていて、その中に冷蔵庫、洗濯機などの家電や箪笥、机、畳、タイヤなど、ありとあらゆるごみが捨てられ、浮いていたのである。実に見苦しい光景であった。
 その時には本法施行前の清掃法時代に捨てられたものと思ったが、今では本法施行後の不法投棄だと思う。許可された最終処分場がないのだから、ちょうどよい捨て場だと見捨てられたのだろう。(つづく)

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