「環境新聞」に弊所顧問弁護士芝田稔秋執筆『産廃と私~弁護士50余年の歩み~【第2期:1970年代(昭和45年以降)】⑥』が掲載されました

環境新聞にて、令和6年1月17日より隔週連載されております、
弊所顧問弁護士芝田稔秋執筆『産廃と私~弁護士50余年の歩み~』が掲載されました。

芝田稔秋が弁護士になるまで、そして、弁護士として50年以上廃棄物処理法に
携わってきた半生を、1年間に亘って連載されます。

この度、「第2期:1970年代(昭和45年以降)」の
第6回が掲載されましたのでご紹介いたします。

第2期第6回(令和6年5月29日掲載)
「東京弁護士会の廃棄物の海洋投棄現場の視察」

 1.海洋投棄現場の視察の計画立案
 私は1979年当時、東京弁護士会において公害対策特別委員会の副委員長をしていた。その委員会の活動として、産業廃棄物の海洋投棄の現場を視察する計画を立てた。海洋投棄業者の船が太平洋のC海域まで行って海洋投棄する場面を、海上保安庁の巡視船に乗せてもらって視察しようという計画である。
 これは大きな冒険である。太平洋の真ん中まで行くのは怖い感じがする。遭難しないとも限らない。しかし業者は毎日、太平洋を航海しているのだから怖がってばかりはいられないと、勇気を出して行こうとなった。
 私が産業廃棄物の海洋投棄事業をしていたT社の顧問をしていたため、お願いしたら気軽に了解してくれた。また、投入する産業廃棄物は、廃酸・廃アルカリの中和処理後の有機性アルカリの汚泥であるが、この汚泥の排出事業者(中間処理業者)も私が顧問をしていた会社であった関係から、依頼がしやすかった。
 そのうえで、公害対策委員会の委員長と副委員長(私)の2人で海上保安庁にお願いに行き、了解してもらった。海上保安庁への公式のお願いは、東京弁護士会会長から海上保安庁への文書とか、保険手続などがあったと思うが、それは東京弁護士会の執行部や事務局が手配してくれた。
 今まで廃酸・廃アルカリの海洋投棄は禁止され、陸上で焼却処理をしなければならないが、その頃は、廃酸・廃アルカリは、中和処理をしたあと海洋投棄することが許されていた。というより、海洋投棄以外の処理は、認められていなかったものである。
 T社の海洋投棄船「K丸」が沖合に出て海洋投棄を始めるころに、弁護士たちは海上保安庁の巡視船で後から追いかけて行って、現場で合流する段取りになった。

 2.海上保安庁の巡視船での航海
 海洋投棄の現場は、記憶が不正確だが、野島崎灯台沖のC海域だったと思う。
 C海域とは、領海基線(12㍄)から50㍄以遠の海域のこと。1㍄は1852㍍だから、12㍄+50㍄=62㍄以遠(114.82㌖以遠)となる。実際の投棄場所は、ちょうど50㍄ではなく、大事を取って、1㍄ぐらい沖合まで行って投棄したものと思う。そうすると12㍄+51=63㍄(116.67㌖)沖となる。
 両船の正確な出港時間は覚えていないが、K丸は11月23日の昼ごろに東京の晴海から出港し、海上保安庁の巡視船は、K丸よりずっと速いので、同じ23日の夕方6時ごろの出港だったと思う。横浜の新港埠頭から出港して、翌朝、明るくなった頃に海洋投棄の現場で合流することになった。
 往きは夜の航海である。巡視船は軽快に飛ばした。東京湾を出れば、いよいよ太平洋である。特に荒れ模様ではなかったが、さすがに太平洋だけに、うねりがあり、船が速ければ速いほど舳先は波に突っ込み、波を大きく被り、大きな飛沫が甲板を洗った。私以外の弁護士たちと弁護士会の事務職員計7名は、全部船尾の仮眠室で寝入っていた。
 暗黒の夜ではあるが、舳先の方は操舵室(ブリッジ)からのライトが前方を照らしているので、波を被る様がはっきりと見える。私は、この船が波を被る勇壮な様を見て興奮して、なかなか寝つかれなかった。ブリッジに居て船員たちと話したり、船尾の仮眠室に戻って寝ようとしたが寝られず、またブリッジに来るなど、3回ぐらい繰り返したことを覚えている。ふるさと芝の浜で、台風の荒波を見て喜んでいたのと同じような興奮であった。
 住路の晩のこと、3回目にブリッジから船尾の部屋に戻るときに、船が大きく揺れて、船尾の方で、一瞬、手すりから手が離れて、甲板ですべって、真っ暗な海に落ちそうになったことがあった。落ちていれば、誰にも知られず死んでいたことになる。
 24日の朝、太平洋の真っただ中とは思えないほど、海面はすごく穏やかになった。深夜から明け方にかけて、天候もよくなり凪になって、船足がゆっくりになったため、波に突っ込むこともなく、なめらかに進んだ。朝日が輝いていたので青緑に見えて、とてもきれいだった。
 朝8時ごろだったろうか、巡視船は予定通りK丸に追い着いた。
 太平洋の中で、町名や地番もない、大きなビルも信号もないのに、どうして、後から別の場所から出た巡視船がK丸に合流できるのか?
 さよう!船は、海上では緯度と経度の交差点で場所を特定するのである。たとえば、野島崎灯台沖63㍄で合流するとすれば、大雑把に云うと、「北緯35度、東経142度」などと決めて、双方がその地点に向けて進む。あとは出発地点から、そこまでの距離を計算して、自分の船の速力によって、何時間かかるかを計算して、出発時間を調節する。

 3.海洋投棄の開始
 念のためにいうと、非水溶性の無機性汚泥(赤泥および建設汚泥)などは「集中方式」となる。集中方式の場合は、真下に沈殿するよう、船は静止して排出する。
 私たちの視察の対象である有機性汚泥の海洋投棄は「拡散方式」である。船が進行しながら海面下に排出する。排出を急いで、一挙に大量に、集中的になってはいけない。1時間に2千立方㍍以下で排出することとされている。
 さて、廃酸・廃アルカリの有機性汚泥の海洋投棄が、いよいよ開始された。
 K丸は、巡視船と打ち合わせて、私たちに見やすいように、巡視船を中心にして、巡視船の周りを大きく旋回しながら、内側に傾斜しつつ、船腹のパイプから液状の汚泥を放出して投棄を開始した。1時間半ぐらいかかっただろうか。
 きれいに澄んでいた青緑色の綺麗な海面が汚泥で茶褐色に汚れて広がってゆく様を初めて見て感動もしたが、やはり海洋汚染は回避しなければいけないと思った。
 太平洋の海は広大である。いつの間にか、大量の汚泥も拡散され、波に洗われ呑み込まれて、跡形もなく見えなくなった。私たちには二度と経験できない、珍しい貴重な海洋投棄の祝象であった。
 なお海洋投棄は、ロンドン条約の国内法施行により、2007年に一般的に禁止となり、例外的に少しだけ許されている。K丸を保有していたT社はしばらくして海洋投棄の仕事がなくなり、廃業した。(つづく)

簡単なご相談はお電話での見積もりも可能です

営業時間:平日9:30~17:30