「環境新聞」に弊所顧問弁護士芝田稔秋執筆『産廃と私~弁護士50余年の歩み~【第4期:1990年代(平成2年以降)】①』が掲載されました
環境新聞にて、令和6年1月17日より隔週連載されております、
弊所顧問弁護士芝田稔秋執筆『産廃と私~弁護士50余年の歩み~』が掲載されました。
芝田稔秋が弁護士になるまで、そして、弁護士として50年以上廃棄物処理法に
携わってきた半生を、1年間に亘って連載されます。
今回から「第4期:1990年代(平成2年以降)」と表題を改め、
この度、第1回が掲載されましたので、ご紹介いたします。
第4期第1回(令和6年8月7日掲載)
「行政の責任・長期間かかった大規模の不法投棄」
1.大型の不法投棄事件
全国でみられた廃棄物の不法投棄のなかには、大規模のものが多数あった。なぜ大規模の不法投棄が行われたか。
不法投棄を続ける業者が「最大の悪」には違いないが、監督する行政が早く気づいて不法投棄を取り締まれば、大規模にならずに済んだはずだと考えると、行政にも大きな責任がある。
行政が怪しい現場を発見して、不法投棄ではないかと訊くと、業者は「これは買った物だから有価物だ。リサイクルするんだ」という。しかし、行政はどういうリサイクルか、リサイクル製品を見せろなどと追及せず、では適正に処理しろよと注意(行政指導)だけで帰る。次に見回りで来てみると、廃棄物の山はさらに大きくなっているが、またも注意だけで帰る。こうして大きな不法投棄の山になっていくのだ。
2.豊島不法投棄事件
⑴豊島不法投棄事件は、1988年5月に発覚した最初で最大の不法投棄事件である。豊島という瀬戸内海にある小島に、約10年という長期間にわたってシュレッダーダスト、廃油、廃酸、廃プラスチック類、汚泥等の産廃が不法投棄された。豊島観光開発という会社の社長父子の所有地において野焼きも続けられ、ダイオキシン類などの有害物質による汚染も広がった。
弁護士大川真郎著『豊島産業廃棄物不法投棄事件』(日本評論社、2001年)の著書から知ったことである。業者も悪だが、権力を持つ県知事や職員たちが監督の権限の行使を怠ったうえに、業者の扱っている物が産廃だと認めず、不適正な処理を適法だと容認し、業者の犯罪行為を助長していたのであった。
⑵豊島観光は、1978年に産業廃棄物処理業の許可を受けた。その後1983年後半から1990年にかけて、不法投棄や野焼きなどの不適正な処理を続けた。この間、住民から不適正な処理をやめさせろ、大気汚染をやめさせろと激しい抗議を受けていたのに、香川県は豊島観光に対し、特に有効な法的な手続をとらなかった。
県は、ときどき豊島観光の立入検査を行っていた。相手が金属くず商の原材料だから、産廃ではなく有価物だというので、その物の正体をなんら調査せず、業者の犯罪行為を容認・助長したのだった。
⑶そこへ驚いたことに、他県の兵庫県警察が、廃棄物処理法違反の容疑で豊島観光の処理施設に対し強制捜査を行ったのである。
大川真郎の著書には、「1990年11月、50人近い警察官が豊島に上陸し、8機のヘリコプターが豊島の空を飛び回り、島中が騒然となった。この事態は県を動転させた。県が「合法」としてきた事業を他県の警察が犯罪行為として関係先を強制捜査したからである。これによって有害産業廃棄物の搬入、野焼き、埋立は止まり、住民は10年もの間続いた苦しみからついに解放された。住民は、自分たちが住む県や警察当局によって救われたのではなく、他県の警察によって救われたのだった」とある。
⑷香川県は、兵庫県警察の摘発後、処分地の立入調査や周辺地先海域の実態調査を行うとともに、1990年12月、豊島観光に対して産業廃棄物処理業の許可を取り消し、さらに産業廃棄物撤去の措置命令を出した。だが時すでに遅く、豊島観光には原状回復の体力がなくなり、事業を廃止し、約60万㌧の産業廃棄物が豊島に残された。
⑸この残された産業廃棄物の島外撤去のために、住民たちは弁護士たちに依頼し、弁護士たちは県を相手方として、1993年に国の公害等調整委員会に調停の申立てをして、2000年6月(36回目)に調停が成立した。
当時の真鍋武紀知事が住民に謝罪し、2017年3月までに産廃を撤去することを約束した。
3.青森・岩手県境不法投棄事件
⑴不法投棄の発覚と処分
津輕石昭彦・千葉実共著『青森・岩手県境産業廃棄物不法投棄事件』(第一法規、2003年)という同事件を解説した本がある。
同書によると、1999年7月に、岩手県は岩手県警察に三栄化学の不法投棄の情報を提供し、この情報に基づいて、岩手県警察が同年11月に強制捜査を行った。その後、岩手・青森両県警察合同の強制捜査により、青森県田子町と岩手県二戸市にまたがる27㌶もの広大な土地に、三栄化学工業と縣南衛生が、RDF様産業廃棄物8千㌧(両社の不法投棄のほんの一部)を不法投棄したとして盛岡地検が2社を起訴し、2001年5月、盛岡地裁において、両社はこれまでの最高額の罰金、社長個人にも懲役(執行猶予)と罰金が言い渡された。
本事案は、国内最大規模の産業廃棄物不法投棄事件として、原状回復に多大な国民負担や県民負担を要することとなった。除去すべき産廃の量は最終的に82万立方㍍に上ったという。
⑵不法投棄の開始時期が不明確
この本は、不法投棄の発覚後は比較的順調に事件の解明が進んだと述べているが、私は両社の不法投棄がいつごろ始まったのか、不法投棄開始の時期を知りたいのだが、明確でないように思う。
1995年に別の不法投棄で青森県と岩手県が三栄化学に対し行政処分をしたとある。仮にこの1995年ごろから開始したとすると、本件の大規模な不法投棄の発覚が1999年だというから、4年後に発覚したことになり、豊島事件ほど長期間かかってはいないことになる。
しかし、発覚まで4年もかかったというのは、やはり見逃し期間が長いと思う。それに、1995年よりももっと前から不法投棄していたのではないかと気になる。なぜなら、本件の不法投棄の面積と量は、豊島事件よりはるかに大規模なのだから、4年という豊島事件より短期間に広い面積に大量の不法投棄の人数や出入りする車の数がはるかに多いことになり、よく見回りをしていれば、4年もかからずに発見できたはずである。4年の間に気がつかなかったというのは、見回りが少ないからか。それとも、気づいたけれども、行政指導で大目に見ていたためか。
これまでの大型の不法投棄の経緯を反省して、廃棄物処理法は不法投棄または不法投棄の疑いのある物を見つけたときは、たとえ小さな段階であっても、早期に規制するよう2003年に改正された。行政処分の促進、許可取消しの義務化となったのである。(つづく)