コモンのギモン(18)「時代の熱量」

「時代の熱量」
非常勤顧問 北村喜宣
廃棄物処理法は、1970年に制定されました。制定時の状況について、2025年の現在、あれこれの資料を参照して解説することは可能です。しかし、当時の状況をリアルに伝えることは、およそ不可能でしょう。
それでは、その当時に執筆された書物はどうでしょうか。瀬田公和+江利川毅『逐条解説廃棄物処理法』(帝国地方行政学会、1972年)の、少々黄ばんだ頁をめくることにしましょう。この書物は、同法に関する最初の解説書のひとつです(そのほかに、厚生省環境衛生局(監)『清掃法の全面改正:廃棄物の処理及び清掃に関する法律施行令及び施行規則の解説』(環境衛生問題研究会、1972年)があります)。
廃棄物処理に関する当時の状況についての記述を引用します。何のコメントも加えない方が、迫力があるように感じます。いずれも、1970年初頭の日本です。
「〔し尿について〕山村では、むしろ山林投棄のような処分の方法が多くなっている。また、し尿の海洋投棄は、例えば瀬戸内海に限ってみても、大阪湾、備後灘、広島湾、周防灘等の投棄量を合計すると、日量約3,000キロリットルに達する。」
「農村地帯にあっては、現在でも河川や山林への一般廃棄物の投棄が頻発している」
「事業活動に伴って各企業から排出される産業廃棄物の処理には、廃棄物処理法施行に至るまでの事業者の処理責任の限界さえも明らかでなかったという事情もあり、至るところで公害源となる恐れも実際に生じている。」
「自社処分の内容をみると、自社の敷地内での貯蔵が約48パーセントに達しており、野積み状態での放置も相当多いと思われる。」
「旧清掃法において……事実上産業廃棄物の大部分の処理は事業者の恣意に任されてきた。この傾向は廃棄物処理法の施行後においても、……現在まで本質的には変わっていない。」
かなりの問題状況のなかで廃棄物処理法が船出をしたことがわかりますね。その後の航海は必ずしも順調ではありませんでしたが、関係者の血のにじむような努力の結果、現在があります。もっとも、55年を経過しても、変わらないこともあるでしょう。「排出事業者は処理料金を安くさせることしか考えていない」というボヤキは、今でも耳にします。