「環境新聞」に弊所顧問弁護士芝田稔秋執筆『産廃と私~弁護士50余年の歩み~【第4期:1990年代(平成2年以降)】②』が掲載されました

環境新聞にて、令和6年1月17日より隔週連載されております、
弊所顧問弁護士芝田稔秋執筆『産廃と私~弁護士50余年の歩み~』が掲載されました。

芝田稔秋が弁護士になるまで、そして、弁護士として50年以上廃棄物処理法に
携わってきた半生を、1年間に亘って連載されます。

この度、「第4期:1990年代(平成2年以降)」の
第2回が掲載されましたのでご紹介いたします。

第4期第2回(令和6年8月28日掲載)
「私が関わった廃棄物にまつわる2つの事件」

 私の事件簿から紹介する。

 1.焼却業者が過剰に引き受けた廃油に対する改善命令と不法投棄
 ⑴埼玉県の改善命令
 廃油の焼却業を行うA社が、廃油の焼却能力をはるかに上回る量の廃油入りドラム缶を受け入れて敷地内に大量に積み上げていたので、保管基準違反として、埼玉県から廃棄物処理法に基づき改善命令を受けた。
 そこでA社は、廃油の運搬と焼却の許可を持つ東京の業者B社に処理を委託したところ、B社がドラム缶を大量に搬出した。A社保管のドラム缶が半分くらいに減った時点で、ひとまず改善された旨、県に報告した。
 ⑵埼玉県からA社への措置命令
 ところが約3か月後、佐賀県の産業廃棄物対策課から埼玉県に電話が来た。B社がA社のドラム缶を九州まで持ち込んで、山の中に不法投棄し、大騒ぎになっているというのである。埼玉県の産業廃棄物課でもびっくり、大騒ぎになった。
 埼玉県は急遽、唐津市まで確認に行った。帰ってきてからB社を探して事情を尋ねたところ、A社から廃油の焼却処理を頼まれたが、焼却はせず(焼却費を浮かした)、晴海まで運搬し、晴海から唐津市まで船会社で運搬し、唐津市の港から先は佐賀県の業者に頼んで運搬したということがわかった。
 そこで埼玉県からA社に対し、唐津市にあるドラム缶を廃油の焼却業者に頼んで、速やかに全量を焼却処理せよとの措置命令が出た。
 ⑶埼玉県から、私がA社の本件措置命令の指導・監督を任ぜられた
 しかし、埼玉県から、A社の社長が一人で動いていては必ず失敗する、信用できない、今度は産業廃棄物のことが分かっている弁護士を入れて、常時弁護士の指導・監督のもとにしっかりした廃油の焼却処理の契約を締結して、実行するよう指導された。埼玉県はA社に対し、弁護士として私を推薦したらしい。私はA社の委任を受けた。
 私は適正処理の確保のため、A社振出しの約束手形を預かることにした。
 ⑷私は埼玉県庁で担当者に会い、経緯を聴取した。そのうえで、A社の社長と一緒に唐津市の現場まで不法投棄の状況を調査・確認しに行った。廃油入りドラム缶は、20本くらい並べた上に3段から4段くらい積んだ列が4列くらいあり、その多量さに驚いたものである。
 ⑸唐津市から東京への帰途、連絡しておいた広島県の廃油の焼却施設の会社に立ち寄り、唐津市にあるドラム缶の焼却処理をお願いして、正式の委託契約を締結し、同社に全量焼却してもらった。
 ⑹この処理が完全に済んだ後、埼玉県にドラム缶は全て処理を完了したこと、A社自身は不法投棄には関与しておらず、弁護士の指導と監督のもとに受けた措置命令は全て期間内に完了したので、穏便にお願いしますと上告書を提出して、私の関与を終えた。
 B社と唐津市の業者は制裁を受けたと思うが、その内容までは知らない。

 2.刑事事件で無罪を勝ち取った
 産業廃棄物の運搬業の業務中の事故ではあるが、廃棄物処理法違反の事件ではない。業務上過失致死という事件である。
 《どういう事件か》
 産業廃棄物の最終処分業者乙社が、ビルの解体業者甲社の社長A(親方)から、解体廃棄物を乙社が経営する最終処分場まで運搬し、最終処分をする委託を受けた。つまり、最終処分業者が運搬も行っているという形態である。
 そこで、乙の運転手Bが、2回ほど解体現場に産業廃棄物を引き取りに行った。本来、Aがユンボを操縦してがれき類をBのダンプに積み込むべきところ、Aの操縦が下手で時間がかかるため、Bが見かねて、自分の積み荷だけ自分で操縦して積んで帰ったことがあった。AはBがユンボの操縦がうまいと見込んでいたため、次にBが引き取りにきたとき、あらためて頼んだので、Bは自分でユンボを操縦して積み込むことになった。
 Bが積み込む物は解体されて横たわっている長く太い柱状の大きなコンクリートの廃材である。Bがユンボで持ち上げたときに、長いものだから、真ん中からコンクリートが割れて、鉄筋でつながったまま、半分がL字型のように曲がって垂れ下がった。ユンボのアームが短いためもあって、垂れた部分がダンプカーの縁にひっかかって積み込めなくなった。
 そこで、操縦していたBは、いったん降ろしてやりなおそうか、どうしようかと思案して、一瞬操縦を止めて固定していたところへ、Aが垂れ下がっている柱状の物体の真下(ユンボのカップの真下)に駈け寄って、素手でダンプカーに押し込もうと、手を出したのだった。
 しかし、人の力ではびくともしない重量である。重さは1㌧くらいはあったろう。Bは大声で、危ないから手を放せ!そこからドケ!と叫んだが、その瞬間、ユンボのカップに乗っていた重さ1㌧強の物体が落下して、Aの頭や体に当たった。救急車で運んだが、その日に病院で死亡したという事件である。
 ユンボを操縦する場合、ユンボのアームの回転する範囲の下には絶対に立ち入ってはならない。まして、ユンボが現にカップに積んでいる巨大な荷物の真下には、なおのこと入ってはならない。Aは下手とはいえ、日ごろユンボを操縦していて、このことを一般の人にも注意する立場にある親方であるのに、自分の積込みの仕事の責任を感じて、手伝わなければならないという気持ちで、積み荷の真下に入り込んだのである。責任を感じた行動だと褒めたくはなるが、理性的には褒めることはできない、危険極まりない行動である。
 この事件は、Bが松戸簡易裁判所において、業務上過失致死事件として起訴され、私が乙社の顧問弁護士だった関係上Bの弁護人になって弁護したが、裁判官に理解されず、有罪(禁錮1年、執行猶予3年)となった。そこで東京高裁に控訴して、無罪が認められた。
 本件は、どう考えてもA自身の自招事故であり、Bには何らの過失もないことから、無罪は当然である。
 本件は、刑事事件の刑罰としては、B本人は控訴しなくてもよいといっていたが、民事上の損害賠償の責任などで、乙社に使用者責任などが波及するおそれがあった。それを完全に断ち切るためには、控訴して無罪を宣告してもらう必要があった。それが成功した。乙社の社長は随分喜んでくれた。(つづく)

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